加賀百万石金沢に花開くお茶屋文化「ひがし茶屋街」「にし茶屋街」

ひがし茶屋街メインストリート(西側から)

ひがし茶屋街

江戸時代、金沢市内を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んでいました。

1820(文政3)年、加賀藩の許可を得て、浅野川東側に「ひがし」、犀川西側に「にし」の茶屋街が誕生しました。「ひがし茶屋街」は、金沢市東山に南北約130m、東西約180m わたって広がり、面積は約1.8haあります。金沢三大茶屋街(にし茶屋街、主計町茶屋街)の一つで、最大規模かつ最も格式が高いとされます。

地区内の建物のうち約2/3が伝統的建造物で、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っています。

2001(平成13)年11 月には、茶屋街として、京都祇園に続き「重要伝統的建造物群保存地区」指定されました。

その後、現代風に改造された町家の復原と現代建築を町屋風の外観に修景していく金沢市の施策が続けられたことにより、古くからの伝統的な街並みが甦りました。現在では、金沢の伝統工芸品を扱う店舗や料亭、カフェ等の飲食店が集積し、金沢で最も人気のある観光地の一つになっています。

ひがし茶屋街メインストリート(東側から)

ひがし茶屋街の茶屋建築の多くには出格子があり、その規則的な連続性が統一感を生み出し、美しい景観を形成しています。出格子には種類がありその代表的なものが「木虫籠」(きむすこ)です。その名のとおり虫籠のように縦桟が入っているのが特徴です。桟は内側が細く外側が太い台形の形をしています。外からは中が見えにくく、中からは外が見やすくなっています。美しい意匠は実用性も兼ね備えたものでした。

ひがし茶屋街メインストリートから北側に入る路地

ひがし茶屋街の建物外壁は白木のままで無塗装のものもありますが、赤褐色で「弁柄(紅柄)塗り」といわれるものを多く見かけます。この弁柄は酸化鉄を含む顔料のことです。日本では古代から墳墓石室の壁などに魔除けや富の象徴として朱が塗られ、弁柄もその一種です。艶やかな色合いに加え防腐作用があり木部の外壁を長持ちさせる効果があることから、特に西日本では多用されてきました。

赤色は人の心を高揚させる色でもあります。その色気のある艶やかな色彩がこれから登楼する旦那衆の心を引き寄せたのかもしれません。

ひがし茶屋街メインストリートの南側に並行する路地
ひがし茶屋街メインストリート

金沢の茶屋の特徴として、2階に小型のガラス窓がついた「高窓雨戸」が設けられています。金沢は冬場、積雪があり寒いことから、通常の全面窓ガラスではなく、開口部を極力小さくし、閉鎖性を高めた雨戸にしたものと思われます。夏場は一転、この雨戸を全て開け放しました。柱と手摺があるだけのこの開放的な空間にここちよい風が通り涼が感じられ、日が落ちれば、軒先の提灯の灯りがゆれて、幻想的な光景が広がったことでしょう。

ひがし茶屋街メインストリート西側の路地(きんつば屋さん)
旧「志摩」

1820(文政3)年に建てられ、2階を客間にした金沢の典型的なお茶屋建築です。当時の町人文化を知る貴重な建築であることから2003(平成15)年に国指定重要文化財に指定されました。

お茶屋は登楼した客の求めにより、仕出し屋から料理をとり、置屋から芸妓を呼びます。今でいうところのコーディネーターと貸室業を兼ねている感じてしょうか。調度品、酒器、衣裳や髪飾りをみてもわかるように、すべて非常に高価な最上級のものが使用され、町人文化の栄華を感じられます。当時、お茶屋に集まる客は、上流町人の旦那衆や文化人たちで、遊び事と言っても琴、三弦、笛に舞、謡曲、茶の湯から俳譜など多彩なものでした。客や芸妓ともに幅広く高い教養と技能がもとめられたのです。

旧「中や」(お茶屋美術館)

旧中やも、旧志摩と同様1820(文政3)年に建てられ、2階を客間にした金沢の典型的なお茶屋建築です。現在は「お茶屋美術館」として公開されています。2階客間には、壁を見目も鮮やかな群青色に塗った部屋があります。宝石のラピスラズリを砕いてつくられた青の顔料は、当時、非常に高価で貴重であったことから、とても贅沢で粋な空間に感じられたことでしょう。

にし茶屋街
にし茶屋街メインストリート(南側から)

「にし茶屋街」は、犀川西側の金沢市野町二丁目にある茶屋街です。金沢三大茶屋街(ひがし茶屋街、主計町茶屋街)の一つに数えられます。「ひがし茶屋街」に比べると規模は半分以下で、観光客の姿もまばらです。しかしながら、現在でも昔ながらの料亭や置屋が建ち並び、藩政期の雰囲気を味わうことができます。ちなみに、三大茶屋街の中では在籍する芸妓数が一番多いとのことです。心を尽くして客をもてなす。客も同じく、もてなしの心に応える「お茶屋文化」が今も息づいています。

もちろん、「一見さんお断り」のしきたりが守られ、紹介がない限り、お茶屋の中にはいることはできません。悪しからず。ちなみに私もはいれません(笑)。

にし茶屋街メインストリート(北側から)
金沢市西茶屋資料館

大正時代の小説家島田清次郎が幼少の頃に過ごした吉米楼跡に、現在は「金沢市西茶屋資料館」があり、彼の足跡やお茶屋文化について知ることができます。

さいごに

「ひがし茶屋街」内に残る本当の意味でのお茶屋は「懐華樓」1軒のみですが、「一見さん」でもお茶屋文化を楽しめるイベントが定期的に開催されています。又、江戸時代に建てられたお茶屋の建物旧「志摩」(重要文化財)と旧「中や」は一般公開され、金沢のお茶屋文化を今に伝えています。

九谷焼に、輪島塗などの漆器、きらびやかな加賀蒔絵。石川県の伝統的な工芸品のお店巡りは、見るだけでも、十分目を楽しませてくれます。歩き疲れたら、カフェで和風スイーツはいかがでしょうか(笑)そして今回、浅野川河畔にあり、ロケーション抜群の「主計町茶屋街」を紹介できませんでしたが、「ひがし茶屋街」に隣接しているので、ぜひ訪れたいところです。

参考文献

ウイキペディア
金沢市ホームページ
懐華樓ホームページ
箔一ホームページ

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