満開の彼岸桜が美しい京都「祇園新橋」から「白川」沿いをそぞろ歩き

はじめに

京都には現在、五花街(上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町)があり、祇園新橋、白川沿いの地区は最も格式が高いといわれる祇園甲部に属します。祇園の地名の由来は八坂神社にあります。明治以前は祇園社(ぎおんしゃ)と称し、鴨川一帯までの広大な境内地を保有していたため、この界隈のことを祇園といいました。江戸初期、鴨川の築堤工事が完成し、鴨東への市街地の拡大が進むとともに遊興の地としてさらに発展していきました。当地区は「祇園内六町」と呼ばれ1712(正徳2)年から開発がはじまります。その後、江戸末期から明治にかけて芝居、芸能と結びついてますます繁栄し、今日に至りました。

太平洋戦争時、白川沿いの北側の建物は建物疎開で破却され、後に遊歩道になりました。戦後、祇園では茶屋、料亭のほかにバーやスナック、風俗店も多くなり、昔のおもかげは薄らいでいきました。

このような状況に危機感を抱いた祇園新橋の住民が町並みの保存を行政に働きかけた結果、新橋通から白川沿いの当地区は1976(昭和51)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。その後、建築物等の復原、修理、修景が進み京町家が続く往時の茶屋街のたたずまいが戻り、白川のせせらぎや風情のある石畳、桜や柳などの緑が点在する美しいロケーションとも相まって京都の中でも最も京都らしい洗練された風景が広がります。京都市の歴史的景観保全修景地区に指定された四条通南側の花見小路を挟む一帯とともに人気のスポットとなり、多くの観光客でにぎわっています。

「祇園新橋」
新橋通の茶屋
新橋通の茶屋

昭和30年代から40年代にかけて祇園全体でお茶屋150軒、芸妓、舞妓合わせて600人を数えましたが、時代の流れと共に花街の規模は縮小していきました。一時は20人まで減少したとのことでしたが、現在は30人程度まで増えているとのことです。

石畳が美しい新橋通と辰巳神社

お茶屋さんの建物は伝統的な京町家ですが、花街として発展した祇園で、その用に応じて変化し、本2階建町家茶屋様式という洗練された型を完成させました。その他、変化型として、大正時代に生まれた本2階建町家高塀造り様式、本2階建町家数寄屋風様式なども見られます。

「白川」沿い
巽橋から新橋通方向を見る
巽橋

白川は比叡山と如意ヶ嶽の間に位置する白川山を発し鴨川にそそぎます。街中を流れてきますが清らかな水の流れです。ちなみに、上流部ではかつて枯山水の庭等に使われる白川砂を産出していました。新橋通と四条通を結ぶ路地(切り通し)の起点にある白川に架る巽橋の名称は、辰巳大明神(辰巳神社)に由来します。1829(文政12)年に木橋が民費で建設されて以来、このなんとも風情のある小さな橋は人々に親しまれています。

白川沿い

白川沿いの区域では、茶屋の裏側をみせる本2階建町家川端茶屋様式の建物が建ち並びます。

白川沿いのしだれ桜

建物とは関係ありませんが、花街を彩る舞妓さんと芸妓さんの違いについてお話ししたいとおもいます。舞妓は芸妓になるための修業期間で、20歳までという年齢制限があります。着物は艶やかな色や柄が使われ、美しさを競い合います。帯は歩くとゆらゆらと揺れる「だらりの帯」を着用し「ぽっちり」という飾りが付いた大きな帯留めをするのが特徴です。又、「おこぼ」という10cmほどの高さがある丸い高下駄を履いています(関西では「幼い」ことを「おぼこい」と言いますがこれが語源かもしれません)。地毛を結い上げた髪型に、「花簪」をつけ、化粧も舞妓になった当初は下唇のみに紅をさすなどして可憐さを演出します。一方、芸妓に年齢制限はなく、黒などの無地の着物を身に着け、普通の帯を巻いて草履をはいています。舞妓が地毛を結い上げているのに対し、芸妓の髪型にはかつらを使用し、舞妓のような花簪なども着けません。修業期間である舞妓の間は、衣食住の面倒はみてくれ小遣いもありますが、報酬ではありません。芸妓は芸によって報酬を得ることができます。このような、舞妓、芸妓を区別する文化は京都特有の伝統だとされ、他の地方では「芸者」と一まとめにされることが多いようです。

白川沿い

この料理旅館は橋を渡った先に玄関があります。なんとも優雅です。桜の季節でほとんど花は散っていましたが、橋の両脇にはお店の名前にもなっている白梅が植えられています。

さいごに

お茶屋さんは一見さんお断りです。なんのご縁もお金もない私自身、お店に上がらしてもらったことはなく、外からその様子を眺めるだけです(汗)。どなたかお誘いください。いつでも飛んでいきます~(笑)。この新橋、白川沿いをそぞろ歩くのであれば、雨の日の夜明けすぐをお勧めします。京都のしっとりした風情を思う存分味わえます。又、白川沿いには桜が植わっており特に開花の時期は桜をひとり占めすることができます。このエリアにはやたら注意書きが貼られています。撮影の邪魔になるので貼ってほしくないのですが、元はと言えば、外部から来た観光客のマナーの悪さに耐えかねて出されたもの。舞妓さんや芸妓さんへの執拗な撮影などはもってのほか、ルールを守って節度ある対応を心がけたいものです。

参考文献

ウイキペディア
祇園新橋伝統的建造物群保存地区保存計画
瓢斗京都四条烏丸店ブログ

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