日本一の富豪村だった神戸住吉山手にあるモダニズム建築「旧乾邸」

1階ゲストルーム

設計   渡辺 節
施工   竹中工務店
建築主  乾 新治(四代目新兵衛)
建築概要 RC造一部木造、地上3階、地下1階、瓦葺
建築面積 472.63㎡ ※附属建物含む
延床面積 861.35㎡
竣工   1936(昭和11)年

はじめに

旧乾邸は、日本一の富豪村と言われ、関西財界の重鎮が数多く居を構えた旧住吉村(現神戸市東灘区)山麓部南斜面の約2,000坪の敷地に、乾汽船社長 乾新治(4代目新兵衛)氏の自宅として洋館と和館が建築されました。設計は綿業会館、旧大阪ビルヂング(ダイビル本館)旧大阪商船神戸支店などモダニズム建築で知られ、関西建築界を牽引した渡辺節です。

洋館は約20の洋・和室からなり、洋風を基調としながら和の趣も取り込み、重厚さの中に繊細なデザインで演出されています。渡辺が得意とした内外装建具の装飾も大部分が当時のまま残されています。建築工事費は40万円と現在の貨幣価値で20億円に相当する破格の金額でした。どれだけ贅の限りを尽くしたかがわかります。新治はこの豪壮な邸宅が完成した5年後、心臓病でこの世を去りました。

1993(平成5)年、5代目当主の豊彦氏が死去し、邸宅は相続税として国に物納されました。 神戸市が約15億円での買い取りと歴史的建造物としての活用を提案していた最中、阪神・淡路大震災が発生し洋館は損壊を免れたましたが、和館は全壊しました。震災による神戸市の財政の悪化で購入協議は中断したものの、1996(平成7)年以降、国と委託管理契約を結び、NPO法人などの協力により保存運動が続けられた結果、2009(平成21)年2月24日、神戸市指定文化財に指定されました。同年、建造物の解体を行わない条件で財務省により入札が行われましたが不調に終わり、その後、神戸市土地開発公社が財務省に申し込み購入が決定しました。2011(平成23)年から約1年をかけて保存修復工事が行なわれています。

外観
建屋正面と洋風庭園(南側から)
玄関アプローチ(北側から)
車寄せ
玄関(左側:来客用玄関、右側:通用口)
玄関トップライト
客用玄関内正面装飾タイル

玄関アプローチの列柱、外壁には、旧住友銀行本店(大阪市中央区北浜)などでも使用されている黄みを帯びた「竜山石」(兵庫県高砂市産出の流紋岩質凝灰岩)が使用され、天井は同系色の布目タイルが幾何学模様に張られ、まるでアラビアやスペイン南部の宮殿を思わす意匠となっています。又、牛乳瓶の底のような丸形ガラスが入れられたトップライトは今みても非常に斬新なデザインです。

玄関を入ると、アラビアの貴公子の装飾タイルが出迎えてくれます。トルコ旅行した際、土産物店に売っていたトルコタイルによく似ていますので、おそらく中東のどこからか取り寄せたのでしょう。玄関アプローチの意匠といい、この装飾タイルといい、新治にはアラビア趣味があったのかもしれません。

内観
玄関ホール(飾りテーブル)
玄関ホール(2階に続く階段)
玄関ホール(2階に続く階段 親柱)
玄関ホール(2階から見た階段)

2階まで吹き抜けになった玄関ホールは外装のアラビア趣味から一転、重厚なイギリスのジャコビアン様式(17世紀前半のイギリスデザイン様式)でまとめられています。チーク材にアカンサスをモチーフにした透かし彫りが施された豪華な大階段は見る者を圧倒します。内装の施工は多くの渡辺作品の西洋家具や内装を手掛けた明治中期創業の永田良介商店(神戸市中央区三宮町)が担い、2011(平成23)年に行われた保存修復工事でも、内装修理、家具の複製品製作を担当しました。

1階ゲストルーム

乾家はもともと酒造業を営んでいましたが、乾家へ養子に入った三代目新兵衛が日露戦争を機に海運業に進出し成功を収めました。1908(明治41)年には「乾合同会社」設立し、乾財閥の礎を築きました。三代目新兵衛は関西人が大好きないわゆる「ドケチ」で「出すものは舌でも出さない」ほどでした。新兵衛のドケチぶりは人並み外れ、「船の積荷に保険を掛けない」「座礁した自社船舶を専門工事会社に頼まず何か月もかけ自社で離礁させた」等様々なエピソードを残しています。しかしながら、1918(大正7)年の米騒動のときには2万円を神戸市に、1923(大正12)年の関東大震災のときにも3万円を寄付しました。ええとこあるやん(笑)

1階ゲストルーム(壁面彫り物)
1階ゲストルーム(内階段手摺)
1階ゲストルーム(内階段金属製手摺)
1階ゲストルーム(大シャンデリア)
1階ゲストルーム(暖炉)
1階ゲストルーム(暖炉上部彫り物)

邸内で最も重要な部屋であるゲストルームは玄関ホールと同様ジャコビアン様式でまとめられています。正面中央には大きな暖炉がありその上部装飾と相まって、部屋全体の雰囲気を引き締めています。壁の大部分がチーク材で覆われ、落ち着きのある空間になっていますが、南側の大開口にはステンドグラスがはめ込まれ、降り注ぐ光が部屋を明るい印象にしています。又、天井は金唐皮とおぼしき高価な飾り帯が回され、格式の高い折り上げ天井となっています。

食堂(現在は応接セットを設置)
食堂(鏡上部金属製装飾)
1階和室
1階和室(青波文様の暖房吹出口)
2階寝室(ゲストルームを覗ける窓がある)
2階衣裳部屋(ビルトインの衣裳箪笥)

豪華な玄関ホール、ゲストルームを見てしまうと、居住スペースは普通に見えてしまいますが(笑)、洋室、和室とも細やかな配慮がなされた居心地の良いつくりとなっています。特に2階衣裳部屋にある装飾性と機能性を兼ね備えたビルトインの衣裳ダンスは、当時としては珍しかったのではないでしょうか。
東の田園調布(東京都)、西の六麓荘(兵庫県芦屋市)。高級住宅地の代名詞ですが、昔の住吉、御影には「日本一の富豪村」と呼ばれた優美で豪壮な邸宅群が甍を競っていました。住吉歴史資料館が編集し、住吉学園が発行した「わたしたちの住吉」によると、1932(昭和7)年の一世帯当たりの所得税の平均納税額は兵庫県平均で88円の時代に、住吉村は1,070円で1位。2位は御影町の286円、3位が精道村(芦屋市)の182円で,住吉村のお金持ちぶりがよくわかります。

日本庭園(流れの起点)
日本庭園(流れ下手方向 右手に和館があった)

この日本庭園の北側には和館がありましたが、阪神淡路大震災で全壊し解体され、現在は残されていません。主のいない庭はどこか寂しげです。手水鉢から湧いた水が渓流のように流れをつくった流水観賞式庭園は、洋館側の洋風庭園(芝生)とは好対照です。石組みは六甲山系と同様の花崗岩を使用し、同山から下ってきた小川がそのまま庭を流れるように感じられるつくりです。途中には複数の沢渡も設けられ、感じて楽しむ庭園で「神戸市名勝」となっています。

最後に

旧乾邸はNPO法人の保存運動に動かされ、紆余曲折を経て、現在、神戸市が購入し管理しています。周辺には武田長兵衛(武田薬品)の旧邸宅跡やウォーリズ設計の住宅が「日本一の富豪村」の名残をとどめています。しかし、当時あった建物のほとんどは消え去りました。旧乾邸は阪神間モダニズム建築の代表的な建物として今後も末永く残っていってほしいものです。春(5月)と秋(11月)に特別公開が行われています。保存活動で重要な役割を果たしたNPO法人が現在も公開に携わっているようです。

参考文献

旧乾邸パンフレット
ウィキペティア
永田良介商店ホームページ
神戸新聞M, kobe
神戸市(旧乾邸)ホームページ

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