東京丸の内「明治生命館」で古典主義様式の荘厳な空間に浸る

設計   岡田信一郎、岡田捷五郎
施工   竹中工務店
建築主  明治生命保険(明治安田生命保険)
建築概要 SRC造地上8階、地下2階、塔屋1階
建築面積 3,870㎡、延床面積31,628㎡
竣工   1934(昭和9)年3月

はじめに

三菱系列の生命保険会社所有の明治生命館は、東京駅と皇居前広場との間に広がる丸の内地区、いわゆる三菱村の中に位置します。内外装とも重厚なギリシャ、ローマの古典主義様式でまとめられた意匠の荘厳さは、他の追随を許しません。

現在も建物1階では明治安田生命が営業を行い、他階もテナントが入居する現役の建物です。極めて貴重な往時の設備・調度品がそのまま遺る1、2階部分は公開され見学できます。

建物は、1895(明治28)年竣工の旧三菱2号館を取り壊した跡地とその隣接地に、当時最新の建築工法を用いて、1934(昭和9)年3月、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工しました。わが国近代洋風建築の代表的な建造物と言われています。

設計は大正から昭和初期にかけて歌舞伎座、日本銀行小樽支店など、当時話題になった作品を多く手がけた建築家で東京美術学校(現、東京芸術大学)教授の岡田信一郎です。岡田は建物建築中に病に倒れ、1932(昭和7)年に亡くなりますが、施工状況をわざわざ動画撮影させ、病床から確認していたそうです。代表作で遺作となるこの建物は特に思い入れが深かったのでしょう。岡田亡き後は設計を実弟の岡田捷五郎が引継ぎ完成させました。

1945(昭和20)年9月12日から1956(昭和31)年7月18日までの間、アメリカ極東空軍司令部(FEAF)として接収され、この間、1952(昭和27)年まで2階の会議室が連合国軍最高司令官の諮問機関である対日理事会の会場として使用されました。

1997(平成9)年5月29日、文化財保護審議会の答申によって、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。

外観
建物南西面
建物南西面
建物南西面
建物南面出入口

建物周囲には超高層ビルが林立し、その存在は相対的に小さくなりましたが、近づくにつれ見えてくる建物壁の2〜6階にはコリント式大オーダーが貫かれ圧巻です。巨大な柱の頭部にはアカンサス(葉アザミ)と幾何学模様を組み合わせた飾りが施されています。石材には細やかな装飾を彫り込む「粘り」のある岡山県北木島産の花崗岩「北木石」が使用されました。

南面出入り口
1階ブロンズ製窓かざり

内観
1階店頭営業室

イタリア産ボテチーノクラシコをはじめとするクリーム色系の大理石がふんだんに使われ、クラシカルなシャンデリアの明かりに照らされて鈍い光沢をはなっています。廊下を進むと、まるでギリシャ・ローマ時代の宮殿に迷い込んだかのような感覚を覚えます。ちなみに、ギリシャもローマもいったことはありませんが(笑)。

1階店頭営業室(2階回廊より)
南東角内階段

1,2階は吹抜けとなり、2階回廊が1階を囲むスタイルは、この時代の金融業店舗の特徴です。3階床を支える大理石の柱列は重厚で荘厳な雰囲気を演出しています。又、天井の八角形の窪み「コファリング」と丸い花型飾り「ロゼット」は漆喰と石膏彫刻からなり、息をのむほどの細やかな細工が来る人を感嘆させたのではないでしょうか。

2階会議室
2階会議室(部分)

数十名が着席できる大テーブルが据えられたこの会議室は、終戦後FEAFとしての接収期間中、米・英・中・ソの4か国代表による対日理事会(ACJ)の会場となった歴史的な部屋です。連合国軍最高司令官であったマッカーサー元帥も幾度となく足を運びました。

2 階食堂
2階食堂 壁
2階食堂 梁飾り

2階の各部屋はチーク材やウォルナット材などが使用され、落ち着いた雰囲気でまとめられています。調度品は梶田恵(めぐむ)がデザインを担当しました。各室の用途やデザインに応じて、スパニッシュ式、イギリス式、ルネサンス式など様々な西洋古典様式が用いられています。

食堂控室 ダムウエーター(小荷物専用昇降機)
ダムウエーター操作ボタン

各部屋には冷暖房が完備され、空気で書類を送るエアシューター、セントラルクリーナー(各室の吸気口にホースを接続して使用する掃除機)、さらには電気時計や自家発電装置など、当時のオフィスビルの最新設備を観ることができます。写真のダムウエーターもそのような設備の一つです。

2 階健康相談室(応接室) ロビー
2 階応接室Ⅰ
2 階応接室Ⅱ
2 階応接室Ⅲ
2 階応接室Ⅲ 暖炉
応接室Ⅲ キャビネット扉引手
2階執務室

執務室に隣接して応接室は3部屋あり、奥まった応接室ほど、グレードが高くなっています。東京駅の復原工事期間中、皇居で行われる各国大使の信任状捧呈式の際には、各国大使を乗せた馬車が明治生命館から出発していたことから、この応接室で出発までのひと時を過ごしていました。

静嘉堂文庫美術館ホール

2022(令和4)年10月、ガラス屋根のトップライトから柔らかな光が降り注ぐ建物1階の一角に、世田谷にあった静嘉堂文庫美術館が移転開館し、岩崎弥太郎など三菱創業家が収集した国宝を含む美術品の数々を観ることができるようになり、建物の魅力が更に高まりました。

さいごに

明治生命館は東京駅丸の内口から歩いて行ける距離にあります。大規模クラッシックビルディングで明治生命館ほど調度品を含め当初のままの状態を保っているところはほとんどありません。一見の価値ありです。訪問は照明が灯される夕方から夜をお勧めします。公開は平日が夕方から夜、土日はデータイムとなります。詳しくはホームページで確認してください。見学が終わったら、本館から数十m東(東京駅側)にある三菱一号館美術館に併設された「cafe1894」で食事やコーヒーはいかがでしょうか(笑)。復元された建物ではありますが、コンドルが設計した明治時代の均衡建築の雰囲気が忠実に再現されています。

参考文献
明治生命館パンフレット
明治安田生命ホームページ
ウィキペディア

静嘉堂文庫美術館

cafe1894

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