味噌と醤油の香りただよう 紀州湯浅を歩く

古建築・古い町並み
はじめに

湯浅町は紀伊半島西部、広川や山田川が注ぎ込むリアス海岸の入り江の奥にあり、港町として位置と地形に恵まれ、又、熊野街道の宿駅として、中世以来、有田地方の政治経済の中心地として栄えてきました。江戸時代、紀州藩の保護をうけた金山寺味噌と醤油は今も全国的に有名で、漁業や漁網の生産、温暖な気候を利用した柑橘類の栽培も盛んです。

平安時代末期、土地の有力豪族、湯浅氏の活躍とともに「湯浅」の地名が歴史上の文献に登場します。湯浅氏は、藤原秀郷の後裔と考えられています。一族が、歴史上で活躍したのは、平治の乱で、以後平氏の在地家人として重んじられました。鎌倉幕府成立後も幕府からの信頼を得て、武士団湯浅党として、京都警備の任などにもあたりました。南北朝時代には水軍も抱え、南朝方として、遠く九州にまで遠征しました。この水軍の造船・操船技術が後に海運業に活かされていきます。
平安時代より熊野三山が人々の信仰を集めたため、湯浅は熊野参詣の宿所となりました。また、江戸期には紀州藩官吏の往来や、輸送のための街道が整備され、伝馬所が設置されました。江戸時代にかけては、有田御代官所が置かれ、「湯浅組」として23ヶ村が治められました。湯浅は幕末には藩都和歌山に次ぐ町になっていました。明治維新後、周辺の村と合併し湯浅村に、1896(明治29)年には、湯浅町となり、1956(昭和31)年に田栖川村と合併し現湯浅町となりました。

山田川の河口近く、川の南岸を東西に通る北町通り、南北に走る浜町通り、中町通り、鍛冶町通り沿いには伝統的建造物群が残り、2006(平成18)年、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。湯浅の町割りは、比較的広い「通り」と、狭い路地の「小路」から構成され、東西約400m、南北約280mの保存地区には醤油・味噌醸造業関係の町家や蔵など現役の古建築が多く残っています。昔ながらの手作りで醤油、味噌の醸造が続けられ、江戸、明治時代の街並みの雰囲気を色濃く残しています。

湯浅の町家のかたち
江戸、明治期の厨子二階の建物に、総二階の建物を増築したと思われるやや大きめの商家

大きな火災が無かった湯浅では、江戸から昭和にかけて各年代の建物をみることができます。建物は平入で、近畿地方では一般的な本瓦葺きの建物が多くあります。台風や雨の多い地域性もあって庇には雨除けの幕板が取り付けられていることが特徴です。この幕板は大和(奈良県)南部から紀州(和歌山県)、伊勢(三重県)では一般的ですが大阪や京都ではほとんど見かけません。ただ、その歴史はそれほど古くなく明治期であるといわれています。又、醤油醸造では火を使うことから、防火のため2階外壁は漆喰壁とし、通りに面した1階窓は千本格子にするのが一般的なようです。表(ミセ)には、窓の下半分までで取り外しのできる手摺状の格子、その上手にある居住用の部屋には、採光に工夫し外部から見えない切子格子が取り付けられました。大正時代以降に建てられた建物では、出格子も見られます。内部は、玄関から続くトオリニワと呼ばれる土間続き、奥にある台所は、通常、建具で間地切りますが居室と土間の境を間地切らず、吹き抜けの大空間とすることで、空気の流れをつくり湿気がたまらないように、多雨な気候への対策が取られています。

やや時代が下った大正、昭和初期建築とおもわれる総二階の商家
人がやっとすれ違うことができる「小路」
小路にある元お風呂屋さん
味噌と醤油のまちの老舗
1851(嘉永4)年創業、金山寺味噌製造の老舗「太田久助吟製」

商業都市として発展を遂げた湯浅の礎はなんといっても味噌と醤油です。鎌倉時代の禅僧覚心(法燈国師)が1249(建長)元年に宋に渡り、径山寺(現在の中国浙江省にある径山興聖萬壽禅寺)などでの修行の傍ら、径山寺味噌の製法を習得し、建長6年(1254)に帰国後、夏野菜を漬け込んで作る嘗味噌(なめみそ)の一種(金山寺味噌のもと)を人々に伝授し、湯浅で広まりました。味噌を造る過程で、野菜から水分が染み出していましたが、あるとき、その汁をなめてみると美味であることがわかりました。湯浅の人々は、この汁を大量に作ろうと工夫を重ね生まれたのが醤油です。醤油の生産が広がると、海運業の発達や、様々な関連の工業製品を生み出し、これにより財を成す商人なども出てきました。同じ太平洋岸の江戸や関東各地に漁場、店舗をもつ商家も多く、なかには下総に進出して醤油醸造業を始めた者もいて、醤油で有名な千葉県銚子のルーツでもあります。

1841(天保12)年創業、湯浅で唯一の手づくり醤油蔵「角長」
広大な醸造蔵
運河に面し、沖に停泊する大型船(樽廻船)まで、小舟で荷出しができる蔵
湯浅図屏風(日本遺産ポータルサイトより転載)

明治初期の湯浅の賑わいを描いた「湯浅図屏風」には、醤油樽を大八車に載せて浜まで運び、そこから小船で大型船に荷を積み込む様子が描かれています。

   さいごに

白浜や勝浦など観光地や温泉が多い和歌山県南部への旅行の際の行き帰りに、湯浅に立ち寄られた方も多いと思います。重要伝統的建造物群保存地区内には、醤油やみそを製造する工場やそれを販売する店舗が多くあります。江戸時代創業の醤油メーカー「角長」は、昔ながらの製法を守り、工場内や資料館を見学することもできます。「高い醤油はあまり塩を使わない。安い醤油は味を調えるのに、塩を使う。」との話は、塩分摂りすぎを病院から指摘された中年以上の方には耳よりの話かもしれません。私も思わず醤油を購入してしまいました(笑) 「通り」から一歩迷路のような「小路」に入ると、昔ながらの生活空間が広がりますが、「こんなところにもお店が!」という発見があります。ぷらっと、路地に入ってみるのも楽しいかもしれませんね。おっと、食べ物の話を忘れていました。醤油味のソフトクリームなど、ご当地物もありますが、個人的にはおばあちゃんがつくる、お好みと同じようにキャベツ入りで、ソースではなく醤油をつけて食べるたこ焼きがめっちゃおいしかったです。

(参考文献)
ウイキペディア

湯浅町公式ホームページ トップページ

日本遺産ポータルサイト

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