京町家物語5 伝統的な京町家の最終形。下京The Terminal KYOTO(旧木崎呉服店)

古建築・古い町並み

大  工 川嶋 佐兵衛
建 築 主  木崎呉服店 木崎 安之助
建築概要 木造 地上2階、地下1階(防空壕兼倉庫)
延床面積 469.77㎡
1階 234.54㎡ 2階 198.70㎡
竣  工 1932(昭和 7)年11月
改修竣工 2014(平成26)年 3月

はじめに

「The Terminal KYOTO」は、かつて呉服店が軒を連ねた新町通(下京区新町通仏光寺下ル)に建てられた大店の呉服問屋の建物を再生利用したギャラリースペース・カフェです。間口約9m奥行き50mの典型的な「うなぎの寝床」の敷地に建つ総2階の「京町家」は、昭和7(1932)年、旧木崎呉服店創業者の木崎安之助により建築されました。いわゆる「京町家」とは木造軸組構法で建てられた京都の町家を意味します。京町家は戦後もつくられましたが、綿々と作り続けてこられた集大成ともいうべき最終形は建築技術が最も進化した戦前のこの時期に建築されたものになります。戦後の洋装化により日本人の普段着であった着物は、次第にハレの日に着る特別のものなっていきました。時代の波は日本の和装をリードしてきた京都も例外ではありませんでした。生産機能や問屋・卸などが集積する京都は他地域に比べると現在も和服を扱う店は多く残っていますが、業態転換を迫られ、姿を消す店も数多ありました。本建物も長らく店舗兼住居として使われていましたが、呉服店として使用されなくなり、2013(平成25)年、「昔から残る知識と知恵、職人の技の象徴として、本来の姿に戻す」をコンセプトに、概ね旧態のまま改修復原工事が行われ、翌2014(平成26)年、ギャラリースペース・カフェ「The Terminal KYOTO」として開業しました。店名の由来、「ターミナル」は、人々が集まり、交錯する場所である駅・港を意味し、「衣食住の伝承すべき技術の象徴として、又、ここに集まる人々の知識・知恵とコミュニティを醸成する場」として利用されることが願われているそうです。

平面図(The Terminal KYOTO公式ホームページより転載)
外 観
The Terminal KYOTOと新町通高辻上ルの町家
駒寄せ風になぐり仕上げの内玄関脇荒格子
建屋外の路地
内 観
ギャラリースペース(ミセ土間)
ギャラリースペース(ミセの間(帳場))

建物は店用の棟と生活空間の棟とに分かれる典型的な表屋造りです。入口を入るとすぐミセの空間である大きな土間が広がり、その奥は、一段上がって帳場や使用人部屋が連なります。2階にも部屋があり、これで一つの棟になります。「坪(中)庭」を挟んでそれより奥が別棟で、店主家族の居住スペースとなります。二つの棟は別々の建物ですが、ミセと居住スペースであるオクをつなぐ廊下、ミセと玄関、台所をつなぐ土間の「通り庭」により建物構造上連結されていることら、行き来に雨に濡れるようなことはなく、生活上も一体のものとして使用されました。

新町通に面した西側のミセスペースや屋根越しに風を取り込み、廊下や中庭から更に奥座敷をとおって、奥庭から抜けていく空気の流れができており、暑い夏場の京都で、枕草子にある「家の作りやうは、夏をむねとすべし」」とするつくりとなっています。又、坪(中)庭、奥庭があることで、ウナギの寝床の奥にも日の光が届き、関節光などもあって暗さをあまり感じません。

坪(中)庭横の廊下
もともと通り庭だった部分の火袋
1階カフェスぺースの座敷
1階座敷欄間

現在、カフェスペースとなっているオクにあたる1階座敷とギャラリースペースがある2階に家族が暮らしていました。1階座敷からは奥庭を眺めることができます。奥庭の先の離れには先代の隠居所がありました。
元々は入口から続く「通り庭」の奥に台所(走り庭)がありました。しかし、復原改修工事に際して座敷の床レベルに合せて床を設け、和の雰囲気を壊さないよう、白色タイル貼りのカウンターがつくられ、カフェのキッチンスペースとして利用されています。

網代戸が美しい2階廊下
茶席の炉が切られた2階座敷
北山杉磨き丸太?の時を経て味わいのある床柱
2階奥座敷
2階奥座敷にある格式の高い花灯窓
2階ギャラリースペース(家族用寝室)

2階の二間続きの座敷には茶室があり、上得意客をもてなしたり、呉服の展示会場としても使用されました。茶室をはじめとする各部屋の細部や天井のつくりにもこだわりが感じられ、主の木崎安之助は高い教養の持ち主であったことがわかります。

庭
奥庭

奥庭は町家の庭としては比較的規模が大きいものです。昭和初期、建物竣工時の庭の形状を基本的には維持しているそうですが、The Terminal KYOTO開業にあたっての改修工事で、犬走や飛び石が一部変更されています。奥座敷から庭へおりる沓脱石は大振りの鞍馬石で、かなり高価であったと想像されます。沓脱石の視点場から左側に織部灯籠と、左右にスリットの入った上品な手水鉢が置かれています。右側は飛び石が雁行しながら川の流れのように続き、植栽等で最後までは見通せないことから、実際以上に奥行きがあるように感じられます。
明治、大正期の町家の庭には、必ずと言っていいほどある春日灯籠や棗(なつめ)が、この庭には無く(当初作庭後、のちに撤去された可能性はあります)、大きな人工物がないことで、全体的に柔らかな印象をうける秀庭です。

さいごに

洛中中心部にある大型の京町家の物件は改修・維持費の負担も大きく、その不動産価値から収益性の高いホテルやマンション、駐車場へと変わっていきました。特にバブル以降、その流れは顕著となり、新町通には古くからの大店が数多くありましたが、歯が抜けるように失われていきました。そのような中、概ね旧態のまま改修復原工事が行われ、維持活用されている本建物は特筆すべき存在です。カフェでこだわりのコーヒーや紅茶とお菓子を味わいながら、匠の技をご覧いただきたいとおもいます。余談ですが、大学時代、古い町並みを利用した街づくりを勉強しました。担当教授は町並みの保存と町の活性化を両立させるため、京都の街並みの原点であるファザードは残し、ウナギの寝床の奥側にホテルやマンションを建てることを提唱しました。そのようにして残る建物が周囲にもみられ、せめてもの救いとなっています。
建物がある「岩戸山町」は京都祇園祭の山鉾町の一つで、目の前に岩戸山(山鉾)が建ちます。山鉾は天照大御神の岩戸隠れの伝説をモチーフにしています。山鉾町としては最も南に位置します。ぜひ祇園祭の際、訪れてみてください。

(参考文献)
ウイキペディア
カフェ「The Terminal KYOTO」ホームページ(THE TERMINAL KYOTO |)

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