2017(平成29)年5月20、21日 厚真町朝日
はじめに
厚真町は道央南部の厚真川流域に位置し、パルプ産業が盛んな苫小牧に隣接しています。主産業は農業で、農産物出荷額の約4割を米が占め、肉牛や養鶏などの畜産やカーネーションなど花卉類の栽培も盛んです。
町名はアイヌ語の「アットマム」(向こうの湿地帯)が「アトマ」「アツマ」に転訛したとする説と、「アトマプ」(オヒョウニレのある場所)とする説など諸説あります。幕末、北海道の名付け親でもある探検家の松浦武四郎が厚真町(エリア)を訪れ、アイヌ人の集落(コタン)の様子を記録にのこしています。初めて和人が入植したのは明治3(1870)年で、新潟県出身の青木与八が海沿いの浜厚真に移り住みました。内陸部は少し遅れて1884(明治17)年に山形県出身の山本鉄太郎がトニカ(現在の富里)に入植しました。内地とは違う厳しい北海道の冬を乗り越えるためには、もともとその地に住んでいたアイヌ人から和人が教えをこうようなこともしばしばあり、共存して生活いたようです。
和人の入植後、北海道開拓使からの指示でアイヌ人が土地を失う、それまで作っていた作物が作れなくなる、職業選択で制限がされる等、アイヌ民族を差別した歴史があったことも忘れてはなりません。1897(明治30)年、苫小牧外16カ村戸長役場から分離して厚真村が誕生し、その後、1960(昭和34)年に町制が施行され厚真町となりました。町内には明治期から厚真油田が軽舞地区にあり、掘られた油井は200本を数え、1930~1931(昭和5~6)年には年産2万トンを記録しました。一時、産出量で北海道最大の石狩油田を上回ったこともあるそうですが、1960(昭和35)年に閉山し、農業主体の町に戻りました。
2018(平成30)年9月に北海道胆振東部地震が発生し、厚真町は土石流等90件、がけ崩れ111件という大規模な土砂災害に見舞われました。厚く堆積している樽前山の火山灰とその下の粘土層の間に夏からの長雨と前日の台風で水が溜まり、そこに地震が発生、表土が滑り落ちたことが原因です。この地震で、わずかに残っていた茅葺民家も損壊し、姿を消してしまいました。
以前は住居として使っていたものでしょうか。茅葺民家の倉庫が複数ありました。町内の茅葺建物は内地と比べるとつつましやかなものが多い印象でした。天候に大きく左右される寒冷地の農業で、生活を安定させることは、並々ならぬ努力が必要だったのでしょう。
本州ではひと月以上前に咲いていた桜が、5月下旬に満開を迎えていました。
北海道の茅葺民家の形は、先住民族であるアイヌ民族が住んでいた「チセ」と呼ばれるものと、明治期以降開拓者として入植し、内地から来た人々が、出身地で住んでいた民家の形を引き継いで建築したものに大別されます。しかし、長い年月の中で出身地域の特徴はしだいに薄れてゆき、道央では寄棟造りの茅葺民家が一般的となりました。厚真町でも茅葺民家は寄棟造りか、その寄棟屋根の両端を一部カットした甲造りが多いようです。北海道という土地柄もあってか、厩などの付属建屋は茅葺屋根ながら一見洋風の建物もあります。
富里の茅葺民家は、大工の心得があり、新婚ほやほやであった主みずからが、戦後まもなくに建築したそうです。訪問当時、母屋はお金をかけずに集めたという骨とう品や民具が所狭しと並び、80歳を超えていた主から面白おかしく説明してもらいました(笑)。このような茅葺民家は戦後1940~1950(昭和20)年代頃までは建築されました。
明治期、入植者は富山県出身者が多く、富山で見られる「枠の内」とよばれる積雪に耐えるための架構構造を持った住宅が町内で複数残っています。厚真町は積雪が比較的少なく、構造上つくる必要のないものですが、富山では家格の象徴とされ、富山の出身者の中にはわざわざ、地元から大工を呼び寄せてつくる者もありました。入植者がすべて成功するわけではなく、失敗して去る者もありました。家を建てられたのは、厚真町で成功した人たちです。
さいごに
厚真町は2017(平成29)年春に訪問しました。北海道としては茅葺民家が多いところと聴いていましたが、人がお住まいの茅葺民家は既にほとんどありませんでした。それでも、何軒かの民家を震災前に記録できたことは幸いでした。2018(平成30)年9月に発生した北海道胆振東部地震で、撮影した民家にお住まいだった方々の中には、町役場に確認したところ亡くなられた方もあり、改めて、心からご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。厚真町では現在、古民家再生に力を入れ、地震の復興が進む中、古民家をリノベーションした宿泊施設や物販施設ができたそうです。興味のある方は是非、お立ち寄り下さい。
参考文献
ウイキペディア
北海道文化資源データベース
厚真村史(1956 年)
厚真町ホームページ
森厚真 HOTEL CHUPKI(ホテルチュプキ) – 森の精と鼻歌をうたおう。
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