舟屋
はじめに
「わかめ刈る与佐の入海かすみぬと 海人にはつげよ伊禰の浦風」鎌倉時代初期、方丈記を記した鴨長明が詠んだと伝わる和歌で伊根は登場している。歌の意味としては、「与謝(現在の地名)の海も霞むくらい(女人との)いい思い出があった。海人に伝えておくれ 伊根の浦の海風よ」です(笑)伊根は亀島、平田、日出の3地区(村)からなり、古くは伊禰の浦、現在では伊根浦とよばれています。東、西、北側の三方を山に囲まれ、冬場の日本海側からの季節風がさえぎられる地形で、山もそのまま海に落ち込み、水深が深くなっていることや、湾口に防波堤のような青島があることから、湾内は波が穏やかです。潮の干満の差も少なく、年間とおして潮位差は50cm程度と、港としては大変恵まれています。伊根浦にいつ頃人が居住するようになったのかは不明ですが、伊根浦を見下ろす場所に古墳が発見され、発掘調査の結果、6世紀末のものであることがわかり、海を支配する豪族のものと考えられることから、伊根浦周辺には古代から人が居住していたことがうかがえます。文献に初めて登場するのは、建久2年(1191)年「長講堂所領注文」で、伊禰庄として記されています。室町時代のいにしえより、鰤(ブリ)の刺網漁が行われていましたが、江戸時代には鯨(クジラ)、鮪(マグロ)、鰹(カツオ)、鰤などの漁が盛んに行われるようになりました。捕鯨は室町時代天文年間(1532~1555)の頃から始められたとされてます。丹後半島では最も恵まれた漁場を持っていたことから、享保2(1717)年の『諸色差出帖』によると、漁船数は亀島村240隻、平田村41隻と多く、宮津藩にとって非常に重要な漁村であったとされます。船は、船尾(艫トモ)が広いトモブト(艫太)や船底が平らなカンコとよばれる小舟が使われていました。1909(明治42)年の『京都府漁連誌』には、亀山、日出、平田の総戸数は330戸で、人口2016人、その内漁業従業者数は615人、漁船数は552隻と記録されています。明治、大正、昭和においても、伊根浦の漁獲高は多く、京都府内の水揚げの三分の一を占め、府内有数の漁村でした。伊根の舟屋は、1階が船の収納、2階が網や縄などの漁具を置く倉庫として、あるいは網の干場として使用されてきました。伊根浦沿いには江戸末期から昭和初期にかけて建てられた住居(主屋)134件、舟屋113件、土蔵130件などが建ち並び、独特の歴史的景観を今日に伝えています。平成17(2005)年には日出、平田、亀島の各一部(居住地域と周辺部も含めて南北に約1,700m、東西に約2.650m、面積約310ha)が漁村として初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
かつては2階に窓の無い舟屋が多かったのですが、2階に窓、ベランダを設置し住居に改造した舟屋が増えています。
急な斜面が海岸線まで迫っていることから、かつての集落は現在のように海沿いに並んでいたのではなく、背後にある山の中腹に住居や畑、道路や寺社などが階段状にありました。そのため、出漁のたびに浜へ降り作業をしなければなりませんでした。又、漁具を干したり漁船を陸地に上げるには手狭でした。そこで、人々は長い年月をかけ、協力して山を削り僅かな平地を造り、住居や土蔵を建て、海を埋め立て、海際に舟倉をつくりました。当初は有力者などが浜に住居を建て山腹から移り住みましたが、徐々に伊根湾沿岸部全域広がり、山側から海側に向かって短冊状に住居や土蔵、舟屋配置された地割が連続して並ぶ現在の町並みが形成されていきました。他地域への往来は基本的に舟で、ご近所さんへの訪問は、住居と舟屋の間にある中庭的なスペースが自然と繋がる路地的通路を使用していました。
舟屋は、当初草葺の平屋で、梁には松材や栗材を使用し、柱には海水に強い椎が用いられました。外壁は古い船板を張ったり、縄むしろを吊り下げた粗末なものでした。江戸時代後期になると、半2階になり、1893(明治26)年、1894(明治27)年の台風の被害があって以後、耐久性の高い瓦葺き屋根が出現しました。大正、昭和初期の大火や、1931年(昭和6年)から始まった路地的通路を拡幅する工事により、多くの舟屋が海側へ移動し建て替えられてきたといわれています。
現在残る舟屋は、妻入り木造2階建て瓦葺で、間口4m、奥行き10m程度の規模のものがほとんどです。海に接した妻側の1階全体に開口部をつくり、船を引き上げるために海側に傾斜した石敷の床(現在はコンクリート造の床面も)を設けました。満潮時に水面が1階床面の半分程度にまで上がってくるため、舟屋が海に浮いたような光景となります。時代の流れとともに、魚網が麻から化学繊維に変わり干す必要がなくなるなど、漁具、漁法が変化し、次第に2階部分の倉庫としての役割が減り、改築して人が居住したり民宿として使用される例も増えてきました。
さいごに
約2,000人の伊根の集落に、現在では全国から年間約30万人の観光客が訪れる観光地となりました。大阪から電車バスで3時間30分、車で2時間30分、京都から電車バスで2時間30分、車で2時間と、「天橋立」からも近く、案外手軽に訪れることができます。伊根は、海や船の絵を描くことを趣味にしていた私の父親が何度も何度も訪問していましたが、何がいいのかわかりませんでした。しかし、百聞は一見に如かずです。昔ながらの素朴な日本の漁村風景が残り、澄み切った青い丹後の海に浮かぶがごとき舟屋が続く様は、けだし、海辺の楽園です。よく、水上都市のイタリアのベニスにたとえられますが、全く違うものだとおもいます。勿論、ベニスに行ったことはありません(笑)。近年は古民家や舟屋を利用したラグジュアリーな宿泊施設も増えていますので、短時間の立ち寄りではなく、宿泊して、人があまりいない早朝や日暮れ時、リラックスして海辺の景色を眺めたいですね。
(参考文献)
ウイキペディア
伊根町ホームページ
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