はじめに
南丹市美山町は、京都市と福井県小浜市の中間に位置します。1955(昭和30)年、知井村・平屋村・宮島村・鶴ヶ岡村・大野村(現在も大字(おおあざ)として残る)が合併して美山町となり、更に2006(平成18)年に周辺の町と合併して南丹市の一部となりました。明治期まで小浜と京都つなぎ多くの物資が行き来した鯖街道の一つ周山街道(国道162号線)が南北を貫いています。又、京都市左京区との界にある佐々里峠が分水嶺となり、美山町側に下る川をあつめて日本海にそそぐ由良川が東西を流れます。周囲を山々に囲まれ、9割以上が山林で、耕地面積はわずか2%しかありません。由良川とその支流が樹枝状に山間渓谷盆地を形成し、その川沿いのわずかな土地に林業を主な生業(なりわい)としていた山村集落が点在しています。平安期には禁裏御料地でしたが、その後、荘園として分割されました。室町・戦国期、管領細川氏配下の国人宇津氏、その後、幕府奉公衆の川勝氏の所領となりましたが、江戸時代は園部藩と篠山藩領でした。
美山の茅葺民家のかたち

千木は棟に対して左右対称ではなく、入口側の面に大きく傾斜し、裏面は角度が緩くなっています。 町内には平成の中頃まで、茅葺民家が比較的多く残っていましたが、過疎化が進むとともに、一時あった旧美山町の茅葺屋根の葺替え補助金制度が縮小されたことにより、重要伝統的建造物群保存地区に選定された北集落を除いて、急速にその姿を消しています。当地の茅葺民家は「北山型民家」とよばれ、京都市の北側に広がる「北山」地域にある民家の一般的な形態です。急こう配の入母屋の大きな屋根に棟飾りとしてやや反り上がった✕に交差する大きな千木(主に栗材)を乗せているのが特徴で、平入りです。間取りは田の字型で、板壁や板戸で間仕切られました。近畿地方の中では比較的積雪が多かったことから、地表面より一段上がった「上げ庭」と言われる土間があり、そこに台所もおかれました。山村で少しでも耕地面積を増やしたかったのでしょうか、又、洪水を避ける意味合いもあったかもしれません、多くの家は山裾に階段状の屋敷地を持ち、正面側に石垣を築いて平らな敷地を確保し、母屋と納屋、蔵が等高線に並行して建てられています。現存している民家は江戸時代中頃から戦後すぐににかけて建築されたものです。
美山の里の春









美山で春に撮影した写真を今見返すと、桜の写真がたくさんあることに気づきました。道路沿いや庭先に桜の木が多く植えられ、色のない浅春をいち早く彩ってくれます。開花の時期を選んで訪れたのかもしれませんが、今となっては全く思い出せません(笑)









茅葺民家が狭いエリアに集中して残る北集落では、美しい景観を保存していこうという住民意識が高まり、自主的な組織として茅葺保存組合がつくられ、茅葺民家の保存維持へむけた活動が行われてきました。その結果、1993(平成5)年には。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。




上の2枚の写真は平成と令和に撮影した約30年の時を経た同じ民家です。後者のまだ新しい茅の色が残っている屋根は、葺き替えてから2年ぐらいでしょうか。棟の千木は以前と異なり角材が使用されています。立派な栗材はもう手にはいらないのかもしれません。庭木も大きく生長しています。「かやぶきの里」といわれる美山でも、このように約30年前とほぼ同じ姿を見られるのは稀です。



由良川の清流に沿ってのびる風光明媚な長谷集落は、私が茅葺民家を撮影するきっかけになった思い出深い場所です。何度も通いましたが、いつも違う表情をみせてくれました。1989(平成元)年に、初めてこの集落をバイクツーリングで通りかかったとき、ほとんどのお宅は茅葺民家でした。1991(平成3)年に初めて撮影で訪れた後、わずか数年でその茅葺民家群は消滅してしまいました。「記録しなければ昔ながらの農村風景は無くなる」と実感したことが、その後長きにわたって、全国の茅葺民家を撮影した原動力になりました。

京都府美山町長谷 茅葺民家撮影をスタートさせた記念すべき最初の1枚です。
さいごに
美山は「ABOUT」に書きましたが、茅葺民家を長年に渡り撮影するきっかけとなった地です。大学時代、京都市内に住んでいましたが、そこから始まる周山街道を美山へ。就職後も実家のある大阪から、東京に転勤するまでの3年間、足しげく通いました。その割には大した写真はありません(汗)。しかし、月日が流れ、撮影した民家のほとんどは現存していません。平成に元号が改まった後の数年間は、茅葺民家が普通に存在した最後の時期でもありました。その時代の美山の里を記録した写真としてみてもらえれば幸いです。写真は後年撮影したものを除き、全て中判カメラで撮影したものです。10枚撮りのフィルムはとても貴重でした。そして、フィルムの装填は時間がかかり、装填中に日が陰ったりして、何度シャッターチャンスを逃したことか…デジタルカメラとなった今では考えられない、なんとも懐かしい思い出です。
撮影地も当初記録していなかったことから、数十年の時を経て、あやふやなものがあります。もし、間違えていたり、不明のもので「ここや」とおわかりの方はぜひご一報をお願いします。
コメント